思い出
カウプレやっております~。8月31日までなので、お忘れなきようチェック下さいね!!→こちら
昨日は、祖母の急逝によりいろいろご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
本来なら昨日の告別式、今日の葬儀に私も出席しているところなのですが、ちょうど実家の工事が始まるところで、日程変更もできないということで残って留守番役をしております。
私たちクリスチャンは天国で再び会えるという希望を持っているので、最後の別れというわけでもないから
参列に特に強いこだわりはないという事と
また、偶然とはいえ、生きている間に子供たちを会わせることができたのでいいかな、と。
やっぱり生きている間に会えなきゃ。。。ね。
お姉ちゃんはもっと話したかった、手紙を書けばよかったと悲しがっているけれど。。。
私もいろいろな後悔はあるけれど、、、
後ろ向きに考えてももうできなくなってしまったことは仕方のない事。
反省する事があるならば、今生きている者同士でそれを繰り返さないようにしなければって思うけれど。
…きっとこの類の後悔はどんなにしても起こりうるものなのだろうなぁ
などと、ぼんやり思ったりします。
うん、まだちょっと実感が沸かない。。。
(そういう意味ではやっぱり葬儀に参列して顔を見てお別れするほうが良かったかなぁ)
大学生の頃、今回亡くなった祖母と理由は忘れたが誰かどこかの親戚を訪ねるため
2人で汽車に乗って行った事があります。
大阪で生まれたとはいえ、物心ついたときには愛媛で育っている私にとって
時折我が家に訪ねてきたり、正月にこちらから行く以外に会う事はなく、
ましては祖母と二人きりというシチュエーションは初めて。
というか、あのときが最初で最後だったんだな。。。
自分に似ていると言って多くの孫の中でも殊にかわいがられていたにもかかわらず
甘えるのもかわいがられるのも苦手というかわいくない孫は、
成り行き上仕方がない事とはいえこの長い旅をどうすごせばいいのか戸惑っていた。
だから、なんとなく、昔の事を聞いてみた。
そういう流れだった。。と記憶している。
私にとって唯一、父方の祖母から直接聞いた彼女の人生。
(若いときに日本に来たとはいえちょっと怪しいところがある日本語に
こちらも聞こえが悪い。しかも電車の中。いろいろ勘違いもあるかもしれないけど)
生まれは済州島。
「私は捨てられたのよ」と笑いながら語る。
家が貧しかったという事よりも「拾われた子は長生きする」という風習らしい。
大きくなって日本に来て、教会で(?)祖父に出会った。
結婚した理由はクリスチャンだから、というただそれだけ。
しかし。。(ご想像にお任せしますが、ちょっとした愚痴が続く(笑))
いろんな仕事をした。
くず鉄を集めて商売したけど、その頃はいろんなごまかしが多かったからな、
うちは正直者やてみんないうてくれてな、それでどんどん大きなったんや。
お前のお父さんは頑固もんやった、でもよう頑張ってな、お医者さんになってえらかったと思てます。
みんな神様がようして下さった、ほんま感謝です。なんにも言う事ない。。。
長い愚痴の後に感謝の言葉。
思い通りに行かない人生だったけれど最後には感謝。
祖母はパワフルな女性だったので思い通りに行かないことをすんなりあきらめる人ではなくて
揉め事が多くて人を傷つけたけれど
神様の前には最終的にいつも折れざるを得ないところを通らされながら
少しずつ少しずつ変わっていってたと思う。
もし、貧しくなくてちゃんと教育を受けてたならば。
もっと早く日本語が読めるようになって聖書が自分で読めていたならば。。。
自分が正しい!と自分の意見に従わないと腹を立てるのではなくて
人それぞれに感じ方も考え方も違うのだということを受け入れられるようになってたのだろうか、と
思わないではいられないが。。。
私も日本で生まれ育って韓国語も話せないのに、韓国人の牧師と見合いさせられそうになったりしたからなぁ(ーー;
(それを拒否した従姉妹達とどれだけ険悪になったかいい加減学習して欲しいと
そのときも思ったもんだったが。。。orz)
信仰もあまり強制するものだから口の悪い叔父が「キリスト教じゃなくておばあちゃん教や!」っていったとか。。。orz
非常に癖のある祖母。
だけど、神様を信じようとする姿勢だけは曲げる事がなかった。
思い通りに行かない事が多かった人生で、周りの者も少なからず傷ついたが
最後は一人でこの家で過ごしたい、誰にも迷惑かけずに一人で逝きたいといってたその言葉は
神様が聞きいれてくださったと思う。
祖母を思い返すとき、私は祖母のしたいろいろな事よりも、
いつも終わりには「神様に感謝してます~」と言っていた、その事を思い出すだろう。
同じように自分の気持ちさえもコントロールできずに自己嫌悪する事の多い孫娘は
そのように欠点も沢山合ったおばあちゃんではあったけれど
神様を愛し従おうと生きてそのままこの世での人生を終える事をできたことを
思い返して慰められる。。。
感謝なことです。
昨日は、祖母の急逝によりいろいろご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
本来なら昨日の告別式、今日の葬儀に私も出席しているところなのですが、ちょうど実家の工事が始まるところで、日程変更もできないということで残って留守番役をしております。
私たちクリスチャンは天国で再び会えるという希望を持っているので、最後の別れというわけでもないから
参列に特に強いこだわりはないという事と
また、偶然とはいえ、生きている間に子供たちを会わせることができたのでいいかな、と。
やっぱり生きている間に会えなきゃ。。。ね。
お姉ちゃんはもっと話したかった、手紙を書けばよかったと悲しがっているけれど。。。
私もいろいろな後悔はあるけれど、、、
後ろ向きに考えてももうできなくなってしまったことは仕方のない事。
反省する事があるならば、今生きている者同士でそれを繰り返さないようにしなければって思うけれど。
…きっとこの類の後悔はどんなにしても起こりうるものなのだろうなぁ
などと、ぼんやり思ったりします。
うん、まだちょっと実感が沸かない。。。
(そういう意味ではやっぱり葬儀に参列して顔を見てお別れするほうが良かったかなぁ)
大学生の頃、今回亡くなった祖母と理由は忘れたが誰かどこかの親戚を訪ねるため
2人で汽車に乗って行った事があります。
大阪で生まれたとはいえ、物心ついたときには愛媛で育っている私にとって
時折我が家に訪ねてきたり、正月にこちらから行く以外に会う事はなく、
ましては祖母と二人きりというシチュエーションは初めて。
というか、あのときが最初で最後だったんだな。。。
自分に似ていると言って多くの孫の中でも殊にかわいがられていたにもかかわらず
甘えるのもかわいがられるのも苦手というかわいくない孫は、
成り行き上仕方がない事とはいえこの長い旅をどうすごせばいいのか戸惑っていた。
だから、なんとなく、昔の事を聞いてみた。
そういう流れだった。。と記憶している。
私にとって唯一、父方の祖母から直接聞いた彼女の人生。
(若いときに日本に来たとはいえちょっと怪しいところがある日本語に
こちらも聞こえが悪い。しかも電車の中。いろいろ勘違いもあるかもしれないけど)
生まれは済州島。
「私は捨てられたのよ」と笑いながら語る。
家が貧しかったという事よりも「拾われた子は長生きする」という風習らしい。
大きくなって日本に来て、教会で(?)祖父に出会った。
結婚した理由はクリスチャンだから、というただそれだけ。
しかし。。(ご想像にお任せしますが、ちょっとした愚痴が続く(笑))
いろんな仕事をした。
くず鉄を集めて商売したけど、その頃はいろんなごまかしが多かったからな、
うちは正直者やてみんないうてくれてな、それでどんどん大きなったんや。
お前のお父さんは頑固もんやった、でもよう頑張ってな、お医者さんになってえらかったと思てます。
みんな神様がようして下さった、ほんま感謝です。なんにも言う事ない。。。
長い愚痴の後に感謝の言葉。
思い通りに行かない人生だったけれど最後には感謝。
祖母はパワフルな女性だったので思い通りに行かないことをすんなりあきらめる人ではなくて
揉め事が多くて人を傷つけたけれど
神様の前には最終的にいつも折れざるを得ないところを通らされながら
少しずつ少しずつ変わっていってたと思う。
もし、貧しくなくてちゃんと教育を受けてたならば。
もっと早く日本語が読めるようになって聖書が自分で読めていたならば。。。
自分が正しい!と自分の意見に従わないと腹を立てるのではなくて
人それぞれに感じ方も考え方も違うのだということを受け入れられるようになってたのだろうか、と
思わないではいられないが。。。
私も日本で生まれ育って韓国語も話せないのに、韓国人の牧師と見合いさせられそうになったりしたからなぁ(ーー;
(それを拒否した従姉妹達とどれだけ険悪になったかいい加減学習して欲しいと
そのときも思ったもんだったが。。。orz)
信仰もあまり強制するものだから口の悪い叔父が「キリスト教じゃなくておばあちゃん教や!」っていったとか。。。orz
非常に癖のある祖母。
だけど、神様を信じようとする姿勢だけは曲げる事がなかった。
思い通りに行かない事が多かった人生で、周りの者も少なからず傷ついたが
最後は一人でこの家で過ごしたい、誰にも迷惑かけずに一人で逝きたいといってたその言葉は
神様が聞きいれてくださったと思う。
祖母を思い返すとき、私は祖母のしたいろいろな事よりも、
いつも終わりには「神様に感謝してます~」と言っていた、その事を思い出すだろう。
同じように自分の気持ちさえもコントロールできずに自己嫌悪する事の多い孫娘は
そのように欠点も沢山合ったおばあちゃんではあったけれど
神様を愛し従おうと生きてそのままこの世での人生を終える事をできたことを
思い返して慰められる。。。
感謝なことです。
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